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これまでも これからも。
お客様に寄り添った常に新しい”おもてなし”と質の高いサービスで、
真のホスピタリティを追求し続けています
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これまでの
グリーンハウスフーズ ~ 歴史と変遷 ~
グリーンハウスフーズ
明日の日本を背負って立つ若者の食事の面倒を見る。
1947年、「社会に役立つ仕事がしたい」という想いから、慶應義塾の学生食堂での食事の提供がスタートしました。今では想像できないほどの食糧難の時代、食べ盛りの学生たちの空腹を満たすことは容易なことではありませんでしたが、創業者田沼文蔵は四方八方手を尽くし食糧を調達し、食費のない学生には無償で食事を提供するなど、心を尽くして学生たちを支え続けました。「人に喜ばれる仕事がしたい」という想いを日本の将来を担う学生達とともに歩みだしたことが、私たちの原点です。
1947年、「社会に役立つ仕事がしたい」という想いから、慶應義塾の学生食堂での食事の提供がスタートしました。今では想像できないほどの食糧難の時代、食べ盛りの学生たちの空腹を満たすことは容易なことではありませんでしたが、創業者田沼文蔵は四方八方手を尽くし食糧を調達し、食費のない学生には無償で食事を提供するなど、心を尽くして学生たちを支え続けました。「人に喜ばれる仕事がしたい」という想いを日本の将来を担う学生達とともに歩みだしたことが、私たちの原点です。
- 1947年創業者、田沼文蔵が慶応義塾大学の嘱託となり、大学予科食堂を経営(川崎市登戸)
1947
社是に込められた思いとは―。
創業者 田沼文蔵は、学生たちの身の上相談にも乗り、正月に帰省できない学生がいれば我が家に呼んで一緒に年を越したことも。やがて高度成長期を迎え学生たちは大企業の管理職となり、自分たちを我が子のように大事にしてくれた文蔵への恩返しにと、「社員食堂はぜひグリーンハウスで」と声をかけてくれたことが、学生食堂から社員食堂への事業拡大の転機と後押しになりました。
「人に喜ばれてこそ」 この創業の想いは長い時を経ても、グループ事業のあらゆる活動シーンで大切に受け継がれています。
「人に喜ばれてこそ」 この創業の想いは長い時を経ても、グループ事業のあらゆる活動シーンで大切に受け継がれています。



1954年慶應義塾日吉校舎の食堂運営が軌道に乗り、有限会社としてスタートしたその年、慶應義塾から創立100周年記念事業として食堂の地に記念館を建設するため、食堂の立ち退きを求められました。文蔵の熱意と学生からの強い要望により代替地の提供を受け、取り壊しから1年後に食堂は再開されましたが、建物再建の資金調達や従業員に暇を出さなければならなかったことなど、事業継続の厳しさを身に沁みて感じた文蔵は、経営基盤の安定化としてレストラン事業への進出を考えるようになります。

慶應義塾大学日吉キャンパス
“さぼてん” の由来
末永く人々に親しまれる存在になりたい。
レストラン進出の準備をしていた頃、文蔵夫妻が海外研修旅行で訪れたメキシコで目にしたのが、少量の水でもたくましく生き抜いていた植物のサボテン。「どのような環境に置かれてもたくましく成長するその生命力にあやかり命名されました。

1966年当時の「とんかつ新宿さぼてん」ロゴ

現在の「とんかつ新宿さぼてん」ロゴ
「金鯱(きんしゃち)」という種類のさぼてんをモチーフにした家紋のような形状のロゴは、高品質で洗練されたイメージを象徴し、太陽のように見える形には、お客様に対していつも輝いていたい、という想いが込められています。
1966 - 1986
新宿副都心構想が持ち上がり、将来性のある新宿の地に念願の自社レストランをオープンさせることを決意した田沼文蔵は、新宿副都心第1期工事の完了に合わせて1966年12月「とんかつ新宿さぼてん」、1967年1月に本格中国料理「謝朋殿」を出店。その後、順調に店舗を増やし事業を拡大させながら、日本各地への多店舗化が進みました。
- 1966年「とんかつ新宿さぼてん」1号店をオープン
- 1972年株式会社さぼてんを設立
- 1977年田沼文蔵、藍綬褒章受章
- 1981年田沼千秋、株式会社さぼてんの社長に就任
田沼文蔵、株式会社さぼてんの会長に就任 - 1982年株式会社さぼてんを株式会社グリーンハウスフーズに社名変更
1987 - 1996
時代を先取りする事業展開
多店舗化を進めていた「とんかつ新宿さぼてん」の大きな転機となったのが、1987年のデリカ「ラスカ平塚店」の出店でした。当時、女性の社会進出が進み、中食市場への注目が集まる前夜、“夕食を買って帰りたい”というニーズをいち早くキャッチし、店頭で調理しお持ち帰りいただくというデリカ事業をスタート。“レストランの味をご家庭で”というキャッチフレーズとともにたちまち話題となり、早くも1995年には100店舗、翌年には200店舗目を出店と、90年代の社会環境の変化に合わせ急成長を続けるなど、「とんかつ新宿さぼてん」がより多くのお客様に親しまれる契機となりました。
- 1987年「とんかつ新宿さぼてん」デリカ1号店をオープンデリカ1号店現在の同店舗
- 1988年田沼文蔵、勲四等旭日小綬章受章
- 1992年田沼文蔵、紺綬褒章受章
- 1993年田沼文蔵、(社)日本フードサービス協会会長に就任
社会環境の変化と多様化するニーズ
1967年創業“日本の四季を中華する”本格中国料理店「謝朋殿」。その医食同源の哲学と日本の旬の味わいを大切にした銘菜を、より多くのシーンで楽しんでいただきたい想いから、新業態を次々とオープン。1998年にはカジュアルチャイニーズ「西安餃子」、2001年には「謝朋殿」の人気メニュー「本格中華粥」の専門店「粥餐庁」をオープン。社会環境やライフスタイルの変化や多様化するニーズを見据え、時代を先取りする事業展開を進めました。
世界で評価された
先進の店舗デザイン
先進の店舗デザイン
スパニッシュダイニング Ricoは、2015年のLICC(London International Creative Competition:英国)、2016年のA’ Design Award(イタリア)、American Architecture Prize2016(米国)、2017年の「German Design Award 2018」という4つの国際的に権威のあるデザイン賞を受賞。スペインの各都市を連想させ、エリア毎にテイストを切り替える独自のインテリアデザインが、自慢のイベリコ豚料理やスペイン各地の伝統的な料理をベースにしたさまざまなメニューとともに注目を集めています。


2001‐
グローバルなレストラン展開
1991年、グリーンハウスが韓国のLGグループ(現OUR HOME)とコントラクトフードサービスの技術提携契約を結んだことが縁で、2001年、同社と「とんかつ新宿さぼてん」ブランド導入の技術供与契約を締結。ソウルに海外1号店をオープンしました。
その後、日本食への人気の高まりとともに、2004年の台湾進出をはじめアジアを中心に海外展開を推進、現在では110店舗以上を出店しています。
その後、日本食への人気の高まりとともに、2004年の台湾進出をはじめアジアを中心に海外展開を推進、現在では110店舗以上を出店しています。
- 2001年「とんかつ新宿さぼてん」海外1号店を韓国にオープン
- 2008年田沼千秋、(社)日本フードサービス協会会長に就任
- 2011年田沼千秋、藍綬褒章受章
- 2019年山和食品株式会社がグリーンハウスグループに仲間入り
- 2023年田沼千秋、旭日中綬章受章
世界で評価された先進の店舗デザイン
2007年には、食文化の東西交流地、シンガポールで育った新感覚の四川料理「四川豆花飯荘」を日本の玄関口である東京・新丸ビルにオープン。200種類以上のワインとのマリアージュや芸術的な茶藝とともに、五感で楽しむ銘店として話題を呼んでいるほか、2014年にオープンした「スパニッシュダイニングRico」は、グラナダやサンセバスチャン、バルセロナの街並みなど、エリア毎にスペインの各都市を連想させる独自のインテリアデザインが評価され、ニューヨークやロンドン、ミラノ、ベルリンで開催される世界的なデザインアワードを相次いで受賞。世界で評価された空間でスペイン各地の伝統的な料理が楽しめるとして注目を集めています。


これからも変わらない想い ~ 素材、調理、安全・安心 ~
社是『人に喜ばれてこそ会社は発展する』に込められた想いを実現するためのこだわりをご紹介いたします。